2019年11月16日 森谷真理ソプラノリサイタル (評論)
第41回 WILPFコンサート2019 森谷 真理 ソプラノリサイタル
日時: 2019年11月16日(土) 14:00 開演
会場: 浜離宮朝日ホール
演奏者: 森谷 真理(ソプラノ)・河原 忠之 (ピアノ)
恐らく今日本国内で一番活躍しているソプラノ歌手が森谷 真理氏でしょう。
2006年に夜の女王としてメトロポリタン歌劇場で歌ったこと大きな話題となり、
活動の場を日本に移してからはあらゆるところで名前を見るようになりました。
しかし、私は天邪鬼なもので、売れてる歌手ほど聴く耳が厳しくなってしまう・・・。
過去の音源を聴いた限りとても上手いとも思えず、メトに出たという履歴書だけで売れてる歌手だと思っていました。
ですが、最近歌った蝶々さんやサロメの評判がよく、一度はしっかり生で聴いておかなくては、と思って今回リサイタルへ行ってきました。
売れっ子歌手だとプログラムがいい加減な人も多い中、今回森谷氏のプログラムは女性目線で歌った作品を並べ、アンコールもRシュトラウスの「Morgen」とシューベルトの「Ave Maria」という、
どうせ蝶々さんのアリア最後に歌うか、歌曲だったら献呈かな~。
という私の予想を良い意味で裏切るものでした。
まぁ、アンコールで「Morgen」歌うのって流行ってるのか、最近よく見かけるんですけど、それはおいといて、まずプログラムのバランスはよかったですね。
最後の椿姫のアリアだけ浮いているようにも見えますけど、コンセプトがしっかりしているので特に違和感は感じませんでした。
◆シューベルト
ズライカ(Suleika)
はちょっとよくわからないまま終わってしまった印象で、まだ喉が温まってないので制御が今ひとつ効いてないのかな?といった印象でした。
夜と夢 (Nacht und Träume )
結論から言えば前半のプログラムで一番良かったです。
五線の上の方でのピアノの表現には安定感があり、非常にゆっくりのテンポでもブレスに余裕がある。
個人的にはあまりシューベルトではやって欲しくないポルタメントが何か所かで聴かれたことと、中間部分、(確か「wenn der Tag erwacht」の歌詞のところ)でふらついたのを差し引いても、高さのある響きと安定した言葉の処理が出来ていたのではないかと思います。
今ではドラマティックな役を随分やっていますが、中低音より高音(五線の上のEs~B辺りまで)の方が断然良い響きで、特にピアノの表現が良いので、この曲は本当に合っていると感じました。
糸をつむぐグレートヒェン (Gretchen am Spinnrade)
この曲はやや声で押し過ぎた印象です。
確かに感情の高まりはわかるのですが、その割にはピアノの河原氏の左手(糸を紡ぐ音でもあるし、心拍数でもある)の出し方に変化があまりなく、歌とピアノがどうも別々のことをやっているように聴こえてしまいました。
歌唱としては、出したい言葉、例えば「sein Kuß」、「seinen Küssen 」みたいなのは強調されるのですが、子音のスピード感が足りないので、語尾も意識的に出している時だけ”t”、”st”、”s”がわかる程度で、語頭は基本的に全部立たず、「Zauberfluß」みたいな破擦音が全然聴こえない。
強い表現はデカい声ですれば良い訳ではないので、ちょっと声は抑えて言葉を強く出すといったこともやって欲しかったです。
◆Rシューマン
女の愛と生涯(Frauenliebe und Leben)
この曲集は森谷氏のテッシトゥーラに全然合っていないような気がしました。
声については後程書きますが、
簡潔に言えば、森谷氏の美しく鳴る音域より、あまり響きが乗らない音域で歌うことが多かったのが勿体ない。
全体として最後の曲「今あなたは私に初めての痛みを与えました(Nun hast du mir den ersten Schmerz getan )」のような墓に片足突っ込んでるような表現ならば良いのですが、
最初の曲の歌詞
「Seit ich ihn gesehen,Glaub ich blind zu sein(あなたに会って以来、盲目になってしまったみたい)」と歌い始めるのですが、これが暗い。
全然ときめきのようなものがなく、1曲目から死にそうな感じで、ちょっとコレは音域が合ってないな。と思わずにはいられませんでした。
◆Rシュトラウス
4つの最後の歌(Vier letzte Lieder)
こちらはシューマンとは別人のように声が伸びていました。
特に3曲目「眠りにつく時(Beim Schlafengehen)」はとても音域がピッタリはまっていて、
本来オーケストラ伴奏の曲をピアノ伴奏にしていることもあり、より繊細な表現ができていて、
個人的には今回の演奏で一番よかったと思いました。
逆に2曲目「9月(September)」はオケだと絶えず弦楽器が流れていて、木管楽器が時々涼やかに合いの手を入れるという風景が、ピアノ伴奏だと雰囲気が変わり過ぎてしまって、歌も今一つ流れを欠いた感じに聴こえてしまいました。
しかし、こればっかりは本来オケで演奏されるものをピアノ伴奏でやったので仕方ない部分ではありますね。
終曲「夕映えに(Im Abendrot)」は、こういう言い方はあまりよくないかもしれませんが、
ピアノ伴奏だからこそ森谷氏の中低音の響きでも良いバランスに聴こえたのだと思います。
この曲は河原氏の伴奏が絶妙でした。
シューベルトではちょっとペダルを踏み過ぎかな?と感じるところもあったりしたのですが、
シュトラウスの伴奏は全体的に本当に音の残し方と言えば良いのか、余韻の作り方がとてもよかったので、その響きに上手く歌声が溶ければ自然に心地よく耳に入ってきます。
ただ、歌詞は全体的に何を歌っているのかよくわからなかった。
とは言え、そこはシューマンと違って、自分で物語を紡いでいくというより、伴奏に上手く声が乗れば、全体的に音域が高いこともあってあまり違和感を感じませんでした。
◆ヴェルディ
椿姫より「E strano… Ah, fors’è lui… Sempre libera」
どうしてもこのイメージがあったのですが、
この演奏よりも上手くなっていたことは間違えありません。
特に高音での響きの充実は顕著で、
この演奏よりも鋭さがなくなり、もっと丸い響きの高音になっていました。
そしてピアノの表現でもより洗練された響きになっていたと思います。
そういう意味では、盛り上がるカバレッタより、
カヴァティーナの部分の方に添付の演奏から上達した部分が凝縮されていたかもしれません。
何よりピアノに緊張感があってレガートの質も格段に上がっています。
私がそもそも森谷氏があまり上手いと思えなかったのは、レガートで全然歌えてなかったからなのですが、そこが大きく改善されていたのは良かったと思います。
と、ここまで褒めておいてナンですが、最後のハイEs、これはあまり頂けなかった。
添付の演奏から衰えていたのはココ位ですが、歳を重ねれば超高音が衰えるのは仕方ないことですし、最近やたらドラマティックな役を立て続けにやられているので、正直もうハイEsやFは無理に出すのはやめた方が良いのではないかと思わなくもありません。
ここでは森谷氏の声に絞って書いていきます。
まず良い部分からですが、
兎に角高音のポジションが素晴らしい。
しっかりフォルテと同じ緊張感でピアノまでコントロールできるポジションで歌えているのは本当に素晴らしいと思います。
出だしの音がしっかり決まる
これは出来そうで出来てない歌手が沢山いるので、歌い出しの音がズリ上げず、
不自然に真ん中の音を膨らませない。
こういうのはセンスよくリートを歌うには絶対必要なことです。
無駄なヴィブラートがない
これも重要なことで、音程が定まらないくらい揺れの大きい歌手も平気でいる中で、
清潔な声でしっかりした音程で歌えることは当たり前ではありますが、
それを普通にこなせているのは立派ですね。
では次に気になった部分です。
低音域の響きが全て落ちている
森谷氏の一番の欠点は低音でしょう。
特に”a”母音はかなり致命的です。
例えば、添付している椿姫のアリアの7:55~8:03などを聴いてみてください。
”a”母音でハイDesから五線の真ん中のBまで駆け降りる過程で、母音の音色が全然違うものになってしまっています。
これが本来は同じ質の音色で歌えなければいけないのですが、
どうしても中低音になると”a”とは別の”o”のような音色になっています。
更に、歌っている姿を見ていると、”u”や”o”母音では縦に口が開くのですが、
”e”や”a”は上の前歯を見せて頬筋を緊張させて歌う傾向が見て取れました。
これによって次の問題も起こっていると思います。
詰まり気味の声
高音では抜けるのですが、上記に挙げたような横に口が開いてしまう”a”母音では、
特に詰まったような声になってしまいます。
なので、発音も全体的に奥になってしまい、ドイツ語の場合は特に子音の処理に影響が出ているように聴こえました。
詰まったような独特の響きになってしまう原因は、
頬筋の緊張と、それに連動して舌根が硬くなっていることが原因と思いますので、
その辺りの無駄な力が抜けて、唇や舌をより滑らかに使えるようになればもっとよくなるだろうなと思いました。
あまりにこのところ大きな役を立て続けに歌い、
今後もそのような傾向が続く中でリサイタルまで行うのは大変なことだと思いますし、
何と言っても、コレを全部しっかり暗譜しているというのは本当に驚くべきことです。
今日のプログラムを暗譜するのでも凄く大変だと思うのですが、
前後にオペラで主役をやっているのですから、譜読み能力の高さは間違えなく本物です。
ですが、声に合わない曲を歌い続けることは、こちらも間違えなく声を消耗させますので、
もっとレパートリー選びには慎重になって頂きたいと思います。
ファンの方も、無条件で喝采を送るのではなく、本当のファンだったら声を危険に晒すようなレパートリーにはNOを突き付けなければなりません。
なぜなら、舞台に立つ歌手は聴衆に求められたものは大抵歌うからです。
逆に、聴衆がNoを突き付ければそれはレパートリーにはしないか、歌えるように本人も勉強し直すでしょう。
このサイクルがあってこそ良い歌手は育ちます。
昔の歌手が今の歌手より劣っているとよく言われるのは、有名歌劇場の天井桟敷の聴衆の劣化が一因だともいわれているほどなのです。
2年前びわ湖ホールでジークリンデを聴いて驚嘆しました。日本人でもこれくらいちゃんと歌えるんだ、と。昨年代々木上原の小さなホールでのリサイタルではヘンデルのアリアを歌うんです。びっくりしたら、本人曰く大学ではどちらかにしなさいと指導されましたが、両方歌いたいんです、と。今年の調布で「後宮からの逃走」でのコンスタンツェも立派だったと。でも彼女のために声を大事にしてほしいと願っています
市村一哉様
本当にその通りだと思います。
グレゴリー クンデという今ではオテッロ歌いとして有名なテノールがいますが、
彼は元々ロッシーニテノールでしたが、50歳まで重い役を歌うのは我慢したと言っていたインタビューを見たことがあります。
我慢することなくある程度好きな曲が歌えてしまう現状は彼女にとって危険かもしれません。
これから数年でどう声が変わっていくのか注視していきましょう。